バブル時代に「古びた」と感じていたのは間違いだった――モーリス・ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調
心身の疲れをとるためには、2つの方法があるように思う。医学的に正しいかどうか分からないが、「緊張感を和らげる」という方法と、逆に「緊張感を高める」という方向だ。
「緊張感を高める」ことが心身の疲れをとるというのは、言葉としてはおかしな気もするが、例えば風呂や温泉、銭湯で熱いお湯に入る行為は、身体的にも神経的にもストレスとなるはずである。
それが血行をよくしたり、緊張がその後の反作用としてリラックスを生んだりするのだろう。自分には理解できないが「ホラー映画を見る」とか「絶叫マシンに乗る」ということが娯楽になりうるのも、そういうことではないか。
一方、「緊張感を和らげる」という方法は、いかにもオーソドックスに見えるが、実はそう簡単ではないのではないか、と思うことがある。「はいリラックスー」と言われてできるなら苦労はないし、何によってリラックスするかは、緊張感を高めることより個人差が大きいと思うからだ。
80年代の終わりのバブル期には気を利かせてウィンダムヒルレーベルのレコードをしきりにかける店があったが、自分にとっては苛立ち以外の何物でもなかった(残念ながら反作用としてのリラックスもなかった)。
それではどんな曲が一番リラックスしたかというと、モーリス・ラヴェルの曲が自分にはいちばん向いていた気がする。緊張感から遠いといえば、いまトヨタのCMでも使われている「亡き王女のパヴァーヌ」という曲が、ちょっと陳腐のように思えるものの、よく聞くとやはりよくできていると思う。
もう一つは、ピアノ協奏曲の第2楽章だ。ラヴェルの曲の魅力は、一見シンプルで古典的な旋律や構成に思えても、よく聞くと現代的な要素が入っているところだ。教科書には「新古典主義(的)」と書かれているようだが、そんな表現に当てはめたところで何の魅力も伝わらないし、知っていても何の役にも立たない。
これが書かれたのは1931年だが、ここに込められた人間の感情というものは、いまでもまったく古びていない。バブル経済下の東京では、確かに古いものに思えた時期もあったが、いまとなればそれもおかしな勘違いだったということがよく分かる。
Samson François - Ravel Piano Concerto in G ...
(2013.11.2付記 なぜウインダムヒルを否定しながら、ラヴェルの「亡き王女のパヴァーヌ」を出したのだろうか。大きく見れば、どちらも緊張感を和らげる音楽ではないか。少なくとも「緊張感を高める」ものではない。論理が明らかに間違っており、正しくは例として「兵士たち」を出すべきだった。たぶん途中に風呂に入ってリラックスしてしまったのだと思う。)