疲れをとるクラシック音楽

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いまどき「クラシック音楽」を熱心に聴く明確な理由

クラシック音楽を聴くという行為に、なんの意味があるのか。録音技術が発達したいま、同じ曲を何人もの演奏家が、繰り返し楽譜通りに弾くことに意味はあるのか。アーチストの作家性と、パフォーマンスの一回性に掛ける大衆音楽に、明らかに負けているのでは…

ああ、不条理に生きているのはおれだけじゃないんだ、という救い――ツィンマーマンの「兵士たち」

以前、疲れを取るために、かえって「緊張感を高める」方法について考えたことがある(モーリス・ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調)。だが、そのときには「緊張感を和らげる」ウインダムヒルを否定しながら、取り出しているのがラヴェルというのはチグハグすぎ…

三善晃だけが本物の現代作曲家だった

三善晃が亡くなった。平素から三善さんはどうしているのか気になっていたし、先月も「三善晃 体調」といった言葉でネットを検索をしていたので、覚悟はしていた。 日本音楽界の重鎮で、桐朋学園大学長を長く務めた作曲家の三善晃(みよし・あきら)さんが4…

フランシス・ベーコンの「叫び」の音響とは――ストラヴィンスキー「火の鳥」1910年全曲版

東京国立近代美術館の「フランシス・ベーコン展」を見てきた。日本では30年ぶりの個展ということで楽しみにしていたが、正直をいうと最もパワーのある作品は来ていなかったように思えた。 異端の作家でありながら生前から評価されていたためか、自己模倣があ…

アメリカの音楽院で権勢を振るう東洋系美人演奏家たち――ストラヴィンスキーの「ミューズを率いるアポロ」

最近、NEC室内オーケストラの動画をよく見ている。といっても日本の電機メーカーではない。ニューイングランド音楽院のオーケストラのことだ。 つまりアマチュアの学生なのだが、これがバカにならない水準で、特に弦楽合奏の曲はなかなか聴かせる。例えばシ…

バブル時代に「古びた」と感じていたのは間違いだった――モーリス・ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調

心身の疲れをとるためには、2つの方法があるように思う。医学的に正しいかどうか分からないが、「緊張感を和らげる」という方法と、逆に「緊張感を高める」という方向だ。 「緊張感を高める」ことが心身の疲れをとるというのは、言葉としてはおかしな気もす…

誰もが書け、公開できる時代にモノを書くことの倫理――アントン・ウェーベルン「弦楽三重奏のための小品」

イケダハヤトとかいう人が、プロブロガーを名乗り、クラシックが好きだというのでブログをのぞいてみたが、あまりの退屈さに屁が出てしまった。 特に音楽について書かれているわけでもないし、たまにマーラーなんかの名前が出てきても、なんか芸術家を特権視…

「東京大空襲」とショスタコーヴィチ「ピアノ三重奏曲第2番」との戦慄すべき偶然の一致

日本の学校教育が戦争についてきちんと教えないのには、確固たる理由がある。それは、戦争の具体的な事実について知れば、日本だけでなくアメリカの「戦争責任」や「戦争犯罪」について考える材料を与えることになってしまうからである。 少なくとも次の2点…

西池袋にクラシック音楽を流すバーがあった――モーツァルト:クラリネット協奏曲/ブラームス:間奏曲集

池袋で所用を済ませたあと、人から聞いた西池袋のAというバーに行って、妙なことが気になった。樽に入ったシングルモルトも、ちょっと気の利いたナッツも、照明も店員のサービスも申し分ない。カウンターも、さほどいい板ではないが居心地は悪くない。では…

宇宙空間のような音楽をシンセで演奏した偉業――ドビュッシー「月の光」

前回、疲れというものが神経ではないかと書いたが、そんなことはどうでもよくて、疲れをとるには寝るに限るのである。ブログを書くために音楽を探しながら、これは疲れをとるのか?とらぬのか?と自問している暇があったら、さっさと寝たほうがいい。 で、穏…

ニーチェに「彼は人間ではない、病だ」と言われた男――ワーグナー「ワルキューレの騎行」

疲れというものは何なのかと考えると、精神的、身体的な疲労が一瞬で飛んでしまうことがありうるとすると、神経が大きな鍵を握っていると思えてならない。もっといえば、神経に作用する特定のホルモンが物理的に足りなかったり、過剰だったりするのではない…

ブラームスの交響曲第1番は、第2楽章から聞くに限る。なんなら、それで終わりでもいい

仕事を終えて疲れ果て、飯も食い終わったので一刻も早く風呂に入って寝たいのだが、こういうときこそ「疲れをとる」という本ブログのテーマの真価が問われる。さて、いま何が聞きたいのだ私は…。 そうだ、こういうときこそ浮世離れしたコテコテのクラシック…

天才の偉業に「生きる価値」を見出して慰められることもある――ラヴェル「ラ・ヴァルス」

いまの時代、テレビなどのメディアを含めて半径5メートルくらいしか見ていないと、世界というのはあまりにくだらなくて生きる価値などないと思えるかもしれない。しかし、過去も含めて世の中には天才と呼ばれる人たちがいる。クラシック音楽を「理解する」と…

ハンバーグとカレーだけでは死ねない人のために――武満徹「弦楽のためのレクイエム」

どういう音楽が疲れを癒すのか考えてみるが、それは一律ではない。テンポの速いものもあれば遅いものもあり、音量のうるさいものもあれば、静かなものもある。響きの甘いものもあれば、苦いものもある――。おそらく、こんな3次元マトリクスで整理することはで…

スカした現代人だって本当は達成感を得たい――エルガー「行進曲 威風堂々 第1番」

鉄板のバッハを紹介したはずなのに、どうも落ち着かない。やっぱり疲れたときには、別の神経を高ぶらせた方が、結局は疲れがとれるような気がする。癒しというと昔のウィンダムヒルみたいなのを想像する人が多いかもしれないが、自分にとっては、あれは癒し…

世の中が混乱しても音楽の中の秩序は変わらない――J.S.バッハ「平均律クラヴィーア曲集」

前回まではブログ開設から勢いに任せて一気に5本書いたが、今後は週に1本書けばいい方になると思う。そういうペースで20週書き続けることの方が、1日20本書くことよりも難しい。そもそも何について書くべきなのか。 毎日の疲れを決まった1曲で癒すとしたら、…

100年前に大スキャンダルを起こした男たちの興奮を想像する――ストラヴィンスキー「春の祭典」

交響曲が続いたので、もっと自由な形式で書かれている普通の管弦楽曲を紹介したい。 疲れを取るために、疲れるような刺激をあえて与える癒し方もある。デスメタルで癒されるような。特に、まったりアダージェットではムズムズしてしまうような人には、ストラ…

「強制された歓喜」とやらにあえて乗ってみてやる――ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」

このブログはさっき思いついて作ろうと決め、ブログサービスを探したら「はてな」がよさそうだったのだが、書いてみたら思いのほか書きやすくて満足だ。思いつくままに何本も書いてみよう。粗製濫造だ。 交響曲第5番がつづいたから、ショスタコーヴィチの5番…

甘いだけより苦いけど勢いのある音楽に癒される――チャイコフスキー「交響曲第5番」

このブログは、どうせ匿名で書いてるんだし、自分で書いたことも忘れるだろうから、下書きも推敲もしない。ただ投げっぱなしのように書く。読み返したらこっ恥ずかしいから、読み返しもしない。ただウンコしたくなかったからするように、書く。 前回のマーラ…

現代日本人のケチくさいルサンチマンから距離を置け――マーラー「交響曲第5番」

疲れを取る音楽には、いくつかの種類がありそうだ。ゆったりしたテンポのもの、激しいテンポのもの、音の小さいもの、大きいもの、和声が複雑なもの、単純なもの。いずれも癒しの音楽となる可能性がある。優しい音楽に慰撫されることもあるだろうし、勇まし…