疲れをとるクラシック音楽

すべてのエントリーは書きかけ/はてなブログは使いやすいね

ああ、不条理に生きているのはおれだけじゃないんだ、という救い――ツィンマーマンの「兵士たち」

以前、疲れを取るために、かえって「緊張感を高める」方法について考えたことがある(モーリス・ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調)。だが、そのときには「緊張感を和らげる」ウインダムヒルを否定しながら、取り出しているのがラヴェルというのはチグハグすぎた。いまは反省している。

いま激しいストレスに苛まれながら聴いているのは、ベルント・アロイス・ツィンマーマンの「兵士たち」だ。たんにテキトーな音を並べているのではないかと誠実な芸術家たちから批判を受けていたが、いま聴くと明らかに意味がある。

いまの日本は何やかんやいって豊かなので、本当の意味での不条理に苦しんでいるのは、そう多くないのではないかと思う。ブラック企業が増えているのは基準が厳しくなっただけで、全体としては酷いケースは減っているはずだ。

ただ、世界にはまだまだ理解不能な不条理の世界で苦しんでいる人がいる。日本にも相対的には少数だが、そういう人がいるだろう。いや、豊かな社会の中でこそ、システムの中でがんじがらめになりながら、どこから手を付けていいかわからず苛立つ人にとって、この世界は一種の不条理かもしれない。

ツィンマーマンの「兵士たち」は、もはやデタラメと言いたくなる不条理の世界だ。どこかで世界を肯定し、救いを描こうとした人たちは、ツィンマーマンがそんな世界を描いて何になると思ったことだろう。しかし現実の断片の中に、「兵士たち」の相似形が現れることがある。

そんな不条理に直面した人には、2時間弱のオペラに描かれた不吉すぎる不条理は、ある種の救いと映るのである。ああ、まだおれの不条理など甘いものだと。あるいは、信じがたい不条理の世界に生きているのは私だけではないのだと。

実際、ツィンマーマンは52歳でピストル自殺をしている。自分の作品が理解されないと嘆いて、という説もあるが定かではない。初演は1965年で、自殺が70年。先進国が高度成長に沸くまっただ中で、お前らにはなぜこの不条理が分からないのかと発狂したのかもしれない。