甘いだけより苦いけど勢いのある音楽に癒される――チャイコフスキー「交響曲第5番」
このブログは、どうせ匿名で書いてるんだし、自分で書いたことも忘れるだろうから、下書きも推敲もしない。ただ投げっぱなしのように書く。読み返したらこっ恥ずかしいから、読み返しもしない。ただウンコしたくなかったからするように、書く。
前回のマーラーが美しいアダージェットだったら、チャイコフスキーにも同じような音楽がある。それは交響曲第6番「悲愴」だ。この曲の初演8日後に、チャイコフスキーは死んだというが、曲にもそういう影がある。
死の影がある曲を疲れた人に聞かせてよいのか、という点については議論があるだろうが、悲しいときに悲しい曲を聞いて、泣いて泣きわめいて、そのカタルシスで生きる力を取り戻すということはありうるだろう。
逆に、深い悲しみにくれる人が、から騒ぎのような明るい曲を聞くと、それと自分とのギャップが大きいことが否応でも意識され、さらに落ち込む可能性もある。そこで考えられるのが、暗いんだけど、なんか勢いのある音楽を聞くことだ。
チャイコフスキーの交響曲は4番から6番が有名だが、4番と5番は、特に終楽章に勢いがある。4番は脳天気だが、5番は暗さもあるので、ちょうどいいかもしれない。メロディも分かりやすいし、オーケストラもクラシック音楽らしい響きを鳴らす。うつが軽いうちには、こういう曲を大音量で聞いてみるものいいのでは。