疲れをとるクラシック音楽

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ニーチェに「彼は人間ではない、病だ」と言われた男――ワーグナー「ワルキューレの騎行」

疲れというものは何なのかと考えると、精神的、身体的な疲労が一瞬で飛んでしまうことがありうるとすると、神経が大きな鍵を握っていると思えてならない。もっといえば、神経に作用する特定のホルモンが物理的に足りなかったり、過剰だったりするのではないかと。

で、どういう機序か知らないが、この脳内ホルモンのようなものの分泌に、音楽が作用している気がする。作家でも、どうにもやる気が起きないときには、決まってワーグナーを大音量で聞くという人がいる、という風にだ。

リヒャルト・ワーグナーというのは、もうチンポそのものみたいな人間だったようだ。やたらめったらオンナに手を出し、二股三股は当たり前。自分の支援者だったハンス・フォン・ビューローの妻を寝とって子どもを産ませ、自分の妻が死んだ後に再婚するなど、見境のない最低人物だったようだ。

平気でウソを吐くわ常軌を逸する浪費をするわ、反ユダヤの論文を書いてナチスに利用されるわ。あのニーチェに「彼は人間ではない、病だ」といわれるんだから、確かに凄まじい才能ではあったが、周囲からすれば大迷惑な人間だったのだろう。

しかしこういうチンポ丸出しのエピソードは、自分はワーグナーほどの才能はないが、俺の自己中心さやわがままなど屁でもないと思わせてくれるところがいい。もう何でもいいんだ、やりたいようにやれば。あとは歴史が判断してくれる。ていうかホンネのところ、自分が死んだ後の歴史など知ったことではない。

不思議なことに、こんな大チンポの音楽が、いまでも我々を励まし、癒してくれる。その図々しいチンポ性、抑圧的な父権制にもかかわらずである。だいたい「ニーベルングの指環」なんて、4夜にわたって上演されるんだぜ。狂ってるとしかいいようがない。

で、ワーグナーは何でもいいのだが、とりあえず「ワルキューレの騎行」でも聞こうではないか。トロンボーンやトランペットが演奏する勇ましい主旋律に耳が行きがちだが、後ろで飛んだり跳ねたりしているホルンのフレーズがこの曲のキチガイさを支えていることに気づいた方がいい。


Wagner-Die Walküre- Klaus Tennstedt -LPO at Tokyo1988