疲れをとるクラシック音楽

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天才の偉業に「生きる価値」を見出して慰められることもある――ラヴェル「ラ・ヴァルス」

いまの時代、テレビなどのメディアを含めて半径5メートルくらいしか見ていないと、世界というのはあまりにくだらなくて生きる価値などないと思えるかもしれない。しかし、過去も含めて世の中には天才と呼ばれる人たちがいる。クラシック音楽を「理解する」ということは、人間は、世の中は捨てたものではないのだということを実感することでもある。それを「救い」と言ってもいいかもしれない。

世界で最も洗練された音楽を書いた人のひとりが、ラヴェルである。この人を、あのアイディア一発の「ボレロ」の作曲家としか理解しないのは、あまりにも世界が狭すぎるし、生きた作曲家を冒涜している。少なくとも「ラ・ヴァルス」だとか「クープランの墓」だとか、「ダフニスとクロエ」だとか「ハイドンの名によるメヌエット」だとか。

個人的には「ラ・ヴァルス」というのは本当に美しい曲だと思う。ウィンナワルツのオマージュとして書かれたこの音楽の魅力に一度とりつかれると、逃れることは難しい。初めて出会ってから30年以上経っても、ふとした瞬間に脳裏に上がってくるほどだ。

ただ、ラヴェル自身が幸せな一生を送ったかどうかは別で(ウィキ参照)、その影には第一次世界大戦がある。もしも戦争がなかったなら、もっともっとたくさんの傑作が生まれていたはずなのに、と考えると、いまの日本で「時代が悪い」などと文句を垂れているのが申し訳ない気がする。

ただ、大戦の影響のおかけで、ラ・ヴァルスのフィナーレがあそこまで強烈なものになっているのだとすれば、天才を含めて誰もが生きる時代による制約を受けざるを得ないのか、という諦めの気持ちも湧く。


Ravel / Dutoit: La Valse