疲れをとるクラシック音楽

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スカした現代人だって本当は達成感を得たい――エルガー「行進曲 威風堂々 第1番」

鉄板のバッハを紹介したはずなのに、どうも落ち着かない。やっぱり疲れたときには、別の神経を高ぶらせた方が、結局は疲れがとれるような気がする。癒しというと昔のウィンダムヒルみたいなのを想像する人が多いかもしれないが、自分にとっては、あれは癒しにはならない。

というか、癒しというのは、そういう弛んだものではないという考えだ。疲れにもいろいろあると思うが、現代日本のサラリーマンたちが直面する疲れとは、達成感のなさが原因になっているのだろう。

だからこそ、それを埋めるようにして、ゲームの達成感、克服感、成長感が求められ、若い人たちが癒されている。人間、特に日本人は、案外真面目にできているのである。

ここまで書いてきて何を選ぶか迷うのだが、以前書いたショスタコーヴィチの5番のように「勝利の行進」なのか「強制された歓喜」なのか分からないようなのはダメだとすると、もっと良心的な音楽がよかろう。

ということで、まさかのエルガー「威風堂々」なんてのはどうだろうか。まさに一点の曇りもない、威風堂々たる行進曲である。エルガーといえばイギリスの作曲家、「愛のあいさつ」という美しいメロディがあるが、あれを書いた作曲家がマーチを書くと、こうなるのである。

もっとも、単純なマーチではなく途中でテンポが変わるので、これで歩こうとしたってうまくいかない。そういえば不思議なのが、あのスカしたイギリス人が、この曲が大好きだということだ。ときにはみんなで声を合わせて歌ったりする。普段はやせ我慢しているが、彼らも達成感を得たいのだろう。

なお、原題は「Pomp and Circumstance」で、威風堂々というのはかなりの意訳。「華麗さと仰々しさ」では興醒めだが。


Elgar - Pomp and Circumstance March No. 1 (Land of Hope and Glory) (Last Night of the Proms 2012)

世の中が混乱しても音楽の中の秩序は変わらない――J.S.バッハ「平均律クラヴィーア曲集」

前回まではブログ開設から勢いに任せて一気に5本書いたが、今後は週に1本書けばいい方になると思う。そういうペースで20週書き続けることの方が、1日20本書くことよりも難しい。そもそも何について書くべきなのか。

毎日の疲れを決まった1曲で癒すとしたら、バッハがいいかもしれない。特にピアノによる演奏だ。それもグールドの弾いたものがいい。ゴルトベルク変奏曲もいいし、イタリア協奏曲みないなものもいいが、ここは「平均律クラヴィーア」と呼ばれる長い組曲を勧めたい。

元々、練習用と娯楽用を兼ねて作られたらしい。無機質なようで有機的、有機的なようで無機的、親しみやすいが変にべたついた感じもなく、カッチリした構成とも自由な形式ともいえるという、融通無碍な音楽だ。

こういう音楽漬けになるメリットは、まずは自分の中に「構成感覚」が身につくということが一番だと思うが、それを含めて、そういう人間に近づけるということである。カッチリしているようで自由とか。

これこそが、音楽が人間にもたらす非常に大きな効能といえるだろう。こういう音楽のようにバランスのよい人間になれたら、疲れにくくもなりそうだ。猫背の姿勢は短期的にはラクかもしれないが、長期では正しい姿勢が一番疲れない。

なお、原題は「The Well-Tempered Clavier」であり、単に「よく調律した鍵盤(で弾く音楽)」という意味しかない。なぜ平均律とつけたのか訝しく思うが、「よく調律された」という曲名では威厳がなかったかもしれない。


The Well-Tempered Clavier Complete by Glenn Gould 1/13

100年前に大スキャンダルを起こした男たちの興奮を想像する――ストラヴィンスキー「春の祭典」

交響曲が続いたので、もっと自由な形式で書かれている普通の管弦楽曲を紹介したい。

疲れを取るために、疲れるような刺激をあえて与える癒し方もある。デスメタルで癒されるような。特に、まったりアダージェットではムズムズしてしまうような人には、ストラヴィンスキーの「春の祭典」なんかどうか。

ちょうど100年前に初演されたとは思えない過激な音楽。映画やテレビ音楽の、特にサスペンスものなんかの音響は、この曲がなければ生まれていなかったと思われる。元はバレエ音楽で、初演は大混乱に陥ったそうだ。その光景をBBCが再現している。


Riot at the Rite (final,part 6)

で、このバレエを、日本人女性が全裸で演じている動画が、YouTubeにアップされている。興味本位で見られてはダンサーが気の毒とおもいつつ、立派な偉業だということで、いちおうリンクをはっておきたい。

ぜひ、この作品の意味を完全に忠実に演じた一例だという敬意を払って見ていただきたいものだ。決して生半可な考えで批判めいたコメントをしないで欲しいし、興味本位で広めないでいただきたい。


The Rite of Spring according to Preljojac

「強制された歓喜」とやらにあえて乗ってみてやる――ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」

このブログはさっき思いついて作ろうと決め、ブログサービスを探したら「はてな」がよさそうだったのだが、書いてみたら思いのほか書きやすくて満足だ。思いつくままに何本も書いてみよう。粗製濫造だ。

交響曲第5番がつづいたから、ショスタコーヴィチの5番でも紹介するか。関係ないが、ネット時代というのは、本当にいいね。昔は何か書こうと思ったら、その文章というかスペースの中でいろいろ完結しなければならなかったが、いまは適当な断片を書いて、あとは「おめー知らねえの? ググレカス」と言えば足りる。

ショスタコ好きを自認するなら、ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」という本に目を通しておくべきだ。それによると、ショスタコの5番の最終楽章は、スターリンの目を気にして「勝利の行進曲」仕立てになっている――ということになっているのだが、実は違って、国家からの「強制された歓喜」なのだという。

この「証言」については、ニセだという指摘もある(興味があればググレ)が、反原発派の陰謀論じゃあるまいし、知っていてもいいが、そんなゴシップに音楽が振り回されるは愚の骨頂だ。

重要なのは、屁理屈並べて腕を組んでいるのではなく、それが音楽にどう反映するのかだ。バーンスタインの出した結論は、堂々たる行進曲のスピードを速め、追い立てられるように演奏することだった。

Shostakovich, Symphony No. 5,Bernstein

甘いだけより苦いけど勢いのある音楽に癒される――チャイコフスキー「交響曲第5番」

このブログは、どうせ匿名で書いてるんだし、自分で書いたことも忘れるだろうから、下書きも推敲もしない。ただ投げっぱなしのように書く。読み返したらこっ恥ずかしいから、読み返しもしない。ただウンコしたくなかったからするように、書く。

前回のマーラーが美しいアダージェットだったら、チャイコフスキーにも同じような音楽がある。それは交響曲第6番「悲愴」だ。この曲の初演8日後に、チャイコフスキーは死んだというが、曲にもそういう影がある。

死の影がある曲を疲れた人に聞かせてよいのか、という点については議論があるだろうが、悲しいときに悲しい曲を聞いて、泣いて泣きわめいて、そのカタルシスで生きる力を取り戻すということはありうるだろう。

逆に、深い悲しみにくれる人が、から騒ぎのような明るい曲を聞くと、それと自分とのギャップが大きいことが否応でも意識され、さらに落ち込む可能性もある。そこで考えられるのが、暗いんだけど、なんか勢いのある音楽を聞くことだ。

チャイコフスキーの交響曲は4番から6番が有名だが、4番と5番は、特に終楽章に勢いがある。4番は脳天気だが、5番は暗さもあるので、ちょうどいいかもしれない。メロディも分かりやすいし、オーケストラもクラシック音楽らしい響きを鳴らす。うつが軽いうちには、こういう曲を大音量で聞いてみるものいいのでは。


チャイコフスキー 交響曲第5番 第4楽章

現代日本人のケチくさいルサンチマンから距離を置け――マーラー「交響曲第5番」

疲れを取る音楽には、いくつかの種類がありそうだ。ゆったりしたテンポのもの、激しいテンポのもの、音の小さいもの、大きいもの、和声が複雑なもの、単純なもの。いずれも癒しの音楽となる可能性がある。優しい音楽に慰撫されることもあるだろうし、勇ましい音楽に鼓舞されることもある。

典型的な癒し音楽といえば、いわゆる「アダージェット」系のクラシック音楽だ。テンポが遅く、小さな音から始まってクライマックスを経て、小さな音に戻る場合が多い。まるで波が寄せては来るように。

アダージェットといえば、マーラーの交響曲第5番第4楽章の「アダージェット」だ。ヴィスコンティの「ローマに死す」という映画で使われていたことを知る人も少なくなったかもしれない。

ヴィスコンティって知ってる? イタリアの貴族の家系に生まれ裕福な環境に育った映画監督ですよ。いまはさ、二言目には「藝術だからって許されると思ってたら大間違いだぞ」とかいう貧乏人のヒガミが著しいけど、そういうケチくさいルサンチマンから距離を置くには、こういう豪奢な音楽を聞いた方がいい。

とにかくケチくさいんだよ、いまの日本人は。そして、そのケチくささを否定する糸口を見いだせずに追い詰められている人たちが多い。もうやめようじゃないか、そういう奴らに作り笑いで同調するのは。


Mahler inspired scene - Death In Venice / Mort à Venise/ Tod in Venedig / Morte a Venezia